佐原伸 中年の主張

米国こそが国家テロを行っている | 武装防衛は現実的か? | 朝鮮半島危機 | 東海村の臨界事故について | 軍事分析について | 厚生省の同級生への手紙 | 住専問題 | 沖縄問題 |


米国こそが国家テロを行っている

戦争屋どもがアフガニスタンを爆撃している。これは、英国からの独立以来、侵略戦争を繰り返してきた米国による国家テロである。僕は、ニューヨークのテロリスト達も支持しないが、国家全体がテロ国家である米国の方がより「巨大な悪」である。
以下、米国による主要な国家テロの事例。


武装防衛は現実的か?

 最近、憲法9条は非現実的であり、自衛隊を合憲化すべきという主張が「当たり前」のように流布している。しかし、これらの議論に、一つも現実的なものがないのに驚いている。

 まず、これらの議論が前提としている「公理」を検証してみよう。以下の4つである。

軍事力で国家を守ることができるか?

 歴史上、軍事力で国家を守ることができた国はいくつあるのだろう。ローマは軍事的侵攻で滅びたのか?万里の長城は漢民族の国を守ることができただろうか?答えはいずれも「否」である。現在の世界を見ても、軍事力でなんとか国家を守ることができるのは米国だけであろう。少なくとも、軍事力があれば国家を守ることができるというのは仮説にすぎない。外交や、文化交流と比べて、軍事力が国家を守ることにおいて有効かつ効率的であるという証明はない。

 ひるがえって、日本の場合を考えよう。過去、外国からの侵略があったのは元寇(1274年、1281年)の時のみ、侵略の危険があったのは明治維新直前のみである。元寇の時、日本は北条氏を中心に武力で防衛しようとしたが、軍事的・外交的にあまりうまくいっていない。台風や、元の侵略に抵抗した、高麗人(1270年に元への降伏を拒否、1273年済州島で全滅した三別抄により、元の日本侵攻が遅れたとされる。北条政権は三別抄からの援軍要請の意味を理解できなかった)・ベトナム人(1284年、1288年元軍の侵攻を撃退、これにより元は3回目の日本侵攻を諦めたとされる)・ビルマ人(1287年王国滅亡)・ジャワ人(1293年元軍撃退)などの必死の戦いのおかげで、元が侵略をあきらめただけのことである。

 明治維新の時、長州(1864年馬関戦争)・薩摩(1863年薩英戦争)の軍事的敗北を教訓に、結局、日本は不平等条約を結んだとはいえ「外交」で危機を乗り越えた。逆に、日本が歴史上最強の軍事力を持った秀吉の時代と15年戦争の時、日本は朝鮮侵略からはじめて国を滅ぼす危険を招いた。

 すなわち、日本という国名を持統天皇が使いはじめた7世紀末以来、日本は軍事力で日本を守り得たことは無く、逆に軍事力で国を滅ぼす危険を招いている。

国家が守られれば国民を守ることができるか?

 15年戦争敗戦後、日本の国体なるものは守られたが、日本人のほとんどの命・財産_生活は破壊された。中国や朝鮮やサハリンに多くの一般人が取り残され、沖縄では住民が旧日本軍に殺された。この一事をもってしても、国家が守られれば国民が守られるというのは、事実ではないことが分かる。あるいは、阪神淡路大震災の被災者あるいは島原雲仙岳・三宅島雄山・洞爺湖有珠山の火山噴火の被災者達の生活は、自衛隊で防衛できはしない。

 誰のための、何のための防衛かを考え直さなければならない。国家を守るという「国家主義」的発想を止め、「民を守る」という民主主義的発想に転換しなければならない。その場合の防衛とは、地震や原発事故あるいは環境破壊を含む概念でなければならない。民を守るためという観点からは、海賊行為を防ぐ程度のものはともかく、一般的な「軍事力」は非常にコストが高く効果の薄い「防衛力」ということになる。

自衛隊は必要最小限の防衛力を持っていないか?

 日本の軍事力は、必要最小限という規模を大幅に越えている。日中戦争開戦時並の兵員(1999年度で23万6821人)と、世界第2位の軍事費(「ミリタリーバランス1999・2000」による。防衛白書によると2000年度で4兆9358億円、日本の予算の5.8%)と、世界ナンバーワンの早期警戒機群(P3C100機は、早期警戒機としては世界一の配備戦力で、中国海軍が全力を挙げて海を渡ろうとしても、早期警戒機の対艦ミサイルだけで全て撃沈されると言われている)と、世界第2位の海軍力(護衛艦55隻の戦闘力は英国海軍を上回る)を持つに至っている。

 また、核ミサイルになり得るH1ロケットと、原爆の材料になり得る大量のプルトニウムを所有している。

非武装中立は非現実的であるか?

 東アジアよりよほど政治情勢の不安定な中米のコスタリカで非武装中立が現実に行われているのを見ても、「非武装中立は非現実的である」というのは「いわゆる一つの仮説」にすぎない。

 日本の場合、今までに述べたように、歴史上日本に侵攻しようとした国は希であり、その一つモンゴルは今や侵略などする国力は全くなくかつ友好国で、もう一つの米国も今や友好国であり、いずれにせよ米国が日本を侵略しようとすれば、防衛力など無意味になる。

 偽右翼の諸君の主張する「北朝鮮」の脅威なるものはまったくのでっち上げとしか思えない。サッカーの国際大会にチームを派遣する国力も無い国が、経済発展に邁進する中国が戦争を望まい状態で、韓国・日本・米国を相手に戦争を始めることができると考えるのは「軍事的無知」あるいは「為にする議論」のどちらかであり、恐らく後者である。旧ソ連と中国が背後で支援していた朝鮮戦争の時とは、全く状況が異なるのである。

 日本が軍事的に日本を防衛し得たことは無く、かつ軍事的に強大な力を持ったときには朝鮮を侵略したことを考えれば、「非武装中立」は「現実的な仮説」の一つの候補であり、決して非現実的なものではない。例えば、オーストリアやスイスを考えてみよう。永世中立のこれらの国が「軍事力」によって国を防衛していると考えることのできるような軍事力を持っているだろうか?否である。

では、どうすればよいか?

 ここまでで、特に日本の場合、軍事力による防衛はあまり現実的ではない、百歩譲っても世界第2位などという軍事力は必要ないことがお分かり頂けたかと思う。では、どうすればよいか?

 まず、石橋湛山方式である。東アジアに平等・互恵の貿易圏を作り、韓国・朝鮮・中国・ロシア・モンゴル・東南アジア諸国などとの文化交流を深め、日本の歴史上ほとんどがそうであったように、多民族・多文化国家日本を再建し、すべての問題を外交で解決する枠組みを整えるのである。そのような日本を、どこの国が侵略したいと思うだろうか? 唯一可能性があるとすれば、それは米国である。

 次に、サンダーバード方式である。現在の自衛隊は、少なくとも半減してよい。替わりに、昔テレビの人形劇であったような国際救助隊(サンダーバード)のような組織で災害救助に活躍してもらおう。

 さらに、バブル崩壊銀行方式である。人々の生活が自然災害などで破綻したときは、損失補填を行う制度を作る。軽空母を作るなどという愚行よりよほど安上がりで喜ばれる。

 最後に、阿倍仲麻呂方式である。阿倍仲麻呂を大臣として抜擢した唐のように、古来日本は渡来人を受け入れて多民族・多文化国家を営んできた。例えば、日本海海戦の東郷元帥が中国系であるように...あるいは源氏や平氏が朝鮮系であるように...あるいは阿部貞任がアイヌ系であるように... 日本が単一民族・単一文化などというのは、明治以後に作り出された虚像である。本来の日本に戻そうではないか。

坂東平氏子孫 2001年1月14日記


朝鮮半島危機(ニュース23への投稿)

1999年6月24日

こんにちは。

 最近、米国と日本と韓国軍部が朝鮮半島での戦争に備えて準備を進めているとしか思えないニュースが続いているように思います。

 米国大統領と国防省と統合参謀本部議長が相次いで日本と韓国を訪問し、国務次官補や国防次官補も沖縄に来ているという報道がありましたが、このようなことは前の朝鮮戦争やベトナム戦争の時にも無かった事態ではないでしょうか?また、自衛隊と韓国軍の協議という情報もありましたし、ガイドラインに関連するその他の動きも連日報道されています。しかし、このような報道のいずれもそのニュース「単体」の報道であり、全体像を把握できるような報道がなされているとは思えません。

 ベトナム戦争の時の記憶では、上記のような重要人物の訪問後3ヶ月から半年以内に、北爆などのかなり大規模な作戦が実施されました。しかし、今回は、北爆や米軍のベトナム直接介入時をはるかに上回る重要人物の相次ぐ訪問だと思います。

 そこで、ニュース23で「(朝鮮半島での戦争を万が一でも起こさない姿勢での)全体像を把握できる報道」をお願いしたいと思います。今回の動きはかなり急なので、日本国内だけでなく米国・韓国での米軍基地の動きや、その他の関係方面「突撃取材」を行えば、どこかに「情報管理のほころび」が出てくるのではないでしょうか?


東海村の臨界事故について

 僕はソフトウェア・エンジニアですが、原発は「必ず事故を起こす」はずです。

 なぜなら、ハードウェアが完璧で、手抜き工事が無く、運用も完璧であっても、原発制御用ソフトウェアの安全性が「絶対に」保証できないからです。「ソフトウェアの欠陥をかなり見つけることはできても、欠陥がないことは実用的な大きさのソフトウェアでは証明できない」ことが証明されているからです。

 最新のソフトウェア工学を使えば、かなりの程度危険性を減らすことはできますが、それでも万全ではありません。しかも、原発関連のソフトウェアにこのような最新技術を使っている兆候が無いのです!

 その上、現存の原発は、「ソフトウェアの欠陥」に至る前に、手抜き工事や手抜き運用で事故を重ねています。このままでは、原発による日本壊滅は近い :-<

という話を、ドイツにいる友人の哲学者に力説して帰国すると、2日後に東海村の事故が起きました。

 また、今回の事故で「意図的に」報道されていないことがあると思います。それは、

ことです。

Date: 99年10月8日


軍事分析について

 軍事的に将来を予測することは、比較的簡単にできます。 これは、ベトナム戦争の時に学んだことですが、 人の動きを観察することが一番重要です。 例えば、米国の少将以上の人間が移動すると、数カ月先に必ず新しい作戦や動きが生じます。 特に、少将->中将->大将などが順番に移動するときは決定的です。 もちろん、これに先立って、佐官クラスが移動しているわけですが、 これは、新聞などで報道されることが少ないので、 ベトナム戦争当時はなかなか追跡が困難でした。 が、今はインターネットなどでかなり追跡することができると思います。

 じつは、この方法は軍事以外にも当然適用できます。 例えば、サン・マイクロシステムズ社は数年前から オブジェクト指向技術のトップ技術者をかき集めていました。 そして、ここにきてJavaが俄然注目され、株価も急上昇しています。 このような動きは、数年前に予測できたことです。 しかも、サンの場合、まだまだこれで終わりではありません。

 人の動きを観察する以外に重要なことは、公開情報を丹念に追跡し、その意味を考えることです。

 もちろん、昔から言われている現場に行くことも非常に重要です。 それができなければ、少なくとも現場に行った人の話を聞く・読むことが重要になります。 その点で、最近のWindows 95のマスコミ報道は信用しない方がよいでしょう。 なぜなら、彼らが自分自身で操作してみた結果の情報ではないからです。 人の話を、ただ聞いて、自分自身の「考え」をしていない情報は「くず」です。


前略、
 藤崎清道君ごぶさたしています。母上はお元気ですか?
 昨日のニュース番組で君の名前と写真を見て驚きました。
 もう10年近く前になりますか、西高の同窓会で、「内心忸怩たる思いがある」という君の言葉を聞き、妙に気になり記憶に残っていました。今朝の新聞を見て、83年7月4日の厚生省の「加熱製剤輸入」案のメモは、当時厚生省生物製剤課課長補佐だった君が書いたことを知り、同窓会の君の言葉がすぐに頭に浮かんできました。
 高校2年生の頃、我々が卒業したあと尼になり「わたくしは学生運動を悪いことと思っておりません」と当時おっしゃっていた草切先生のもとで、学生運動をしたりフォークソングを歌ったりした、同級生の中心となって活躍していた君の姿を思い出します。民青・中核・革マル・ベ平連・ノンセクト・ノンポリが、同じクラス同じ高校の中で、奇妙に平和に同居していた当時の雰囲気が、今も僕の心の中に「ひとつの理想郷」として残っています。
 あの頃の君が、83年7月4日の資料について「記憶がない」と言っている君を見たら、どういう感想を持つでしょうか?あの頃、君の指揮で歌った「友よ」や「若者たち」や「We shall over come」を、また一緒に歌える日が来るのでしょうか?


前略、
 住専問題は、大蔵省だけの問題ではなく、戦後50年、いや明治維新以降の日本の権力の構造的腐敗が「一部」表面化した「氷山の一角」だと思います。小学校3年生の時、60年安保反対のデモに行きましたが、あの時の「敗北」が現在の事態を招いたと反省しています。

 住専問題だけでなく、HIV訴訟・沖縄の基地・原発やもんじゅの事故・長良川の河口ダムなど、多くの問題が同じ「構造的問題」の結果であって、このままでは日本は滅びるでしょう。

 私自身は「まあ、日本が滅びてもいいか」と思っていますが、娘たちの世代が生きていくことのできない日本を残すのは、親の世代として恥ずかしいとも感じています。

 日本の改革を行うキーワードは「情報公開」と「ネットワーク」と「パソコン」と「地方」だと感じています。市民運動に関わっている地方在住の多くの友人・知人が、パソコンを買い込み、ネットワークに接続しはじめました。このような動きがやがて大きなうねりとなることを願いながら、微力ではありますが彼らを支援しています。表向きは「これからのビジネスにネットワークは必須だ」と言いながら :-)


89.5kg

Date: 96年3月8日


 沖縄の基地問題で、最高裁の「理由は明示しないが合憲・合法だ」という、どう見ても理屈の通らない判決が出ましたが、この件に関する報道で抜け落ちているものがあると感じています。それは「日米安保」が必要な「真の理由」を探るという視点です。

 「軍事研究」をちょっとでもかじったものなら、今言われている「日本の防衛のために日米安保が必要だ」などというのは、全く根拠のないたわごとであることくらいすぐに気が付きます。当然、沖縄の基地が必要な理由も「日本の防衛のため」ではないはずです。では、なぜ日米安保と沖縄の基地が、日米両政府にとって必要なのでしょうか?

 一見、納得のいく説明は「日米両国で、アジア全体の覇権を狙っている」というものですが、もちろんこの説明は一部は当たっているでしょうが、私自身はどうもそれだけではないように感じています。日米両政府の目標がそんなに一致しているとも思えないからです。それとも、日米両政府とも単に軍産複合体の言いなり、というだけの単純な事態なのでしょうか?

 このあたりを追求することが、沖縄の基地問題でジャーナリズムが本来果たすべき役割なのではないでしょうか?

Date: Fri, 30 Aug 1996 02:38:02 +0900