ベトナム戦争最盛期の高校の頃軍事研究をやっていて、毎日、戦況を分析していました。 ほぼ3カ月前から6カ月前には、何が起こるかを予測できるようになりました。
事件当時の外務大臣広田弘毅によってワシントンの日本大使館あてに出された暗号電文で、一九三八年1月、日本軍が南京を占領してほんの1ヶ月しかたっていない時に、日本政府は南京での犠牲者の数が30万を超えることを既に認めていた。 また、松井石根大将は南京事件の責任を問われて戒告されていた。
平和公園の外にあった韓国人被爆者慰霊塔