日本選手の長所と欠点
監督の「評価」の誤り
ナント
リヨン
ディジョン
帰国後
あるサッカー狂会会員の日曜日は、平日より忙しい。3つのチームの試合を掛け持ちしながら、Jリーグやもっと下のレベルの試合を見学しなければならない時もある。荒川の河川敷から港北へ1時間で移動するくらいは当たり前で、東京からトヨタ自動車の本拠地豊田市営競技場まで駆けつけたこともあった。
サッカー狂会と言ってもご存じない方も多いだろうが、あの「日本チャチャチャ」という応援を東京オリンピックの頃に編み出したのが サッカー狂会の創立者である。テレビに出てくる解説者で「輝かしい選手歴がない」人たちは、大体この筋の人間である。テレビのオタク度を競う番組で、ちらっと見せられたサッカービデオの一場面から「これは、??年ワールドカップ○○対××の試合前半**分の誰それの得点である」とやって優勝してしまい、狂会の重鎮から「うちの若いもんが素人さんにご迷惑をかけて...」と言われたのも狂会員である。
彼らは試合があると、欧州はもとより中東・アジア・中南米・アフリカなどまで出かけていってしまう。休暇が取れなければ会社を辞めて行く。フランスやイギリスに行っても、エッフェル塔や凱旋門やバッキンガム宮殿は知らない、会社は辞めないという程度の僕では、まだまだ狂会員としては「若いもん」である。
最近のサポータと異なるのは、「群れない」「敵をけなさない」「ファッション性がない」「行き当たりばったり」というところだろう。日本が勝ったソウルでの韓日戦でも、皆、互いに連絡も取らずにばらばらにソウルへ入り、中には韓国代表のユニフォームを着て韓国を応援していた夫婦も居た。試合後たまたま遭遇した仲間で、韓国が初めてワールドカップに出場したときの元韓国代表選手とソウルの街へ繰り出したが、どう見ても乞食の集団である。このあたり、ファッションのセンスの良い?日本代表とも異なる。
僕らの理想は単純である。週に2〜3回は自分の町でサッカーをやり、自分の所属するサッカークラブのトップチームの試合を見に行き、それが終わればクラブ内で仲間たちと一杯やりながらサッカー談義に花を咲かせる。そしてたまにはクラブの遠征に付いていって日本を知る。年に何回かは代表チームの応援に行って世界を知る。そして4年に1度はワールドカップの応援に行って人生を知る、ということに尽きる。そういうわけで、来年のフランス大会では、ボルドーあたりでワインを飲んでいることになるだろう。
欧州ではとっくに実現していて、アジアでもシンガポールなどでは実現しているこういう環境が「理想」というあたりが悲しい。一般の日本人は、国立競技場が世界の物笑いの的だということを知らない。それをまねて作った広島のビッグアーチは「過去の遺物・遺跡」と言ってよい。長良川競技場あたりになると、オリンピック予選で来日したインドネシアの選手に馬鹿にされるほどである。しかも普通のサッカー選手は、そこですらプレーできることはまずない。
たとえば、イギリスやドイツ。週末に公園の芝生のグランドでいろいろな人が集まってサッカーをやっている。彼らは「サッカーを普段はやらない人たち」に分類されている。それはつまり、草サッカーの選手でも日本で言えば代表選手がプレーするようなグラウンドでプレーできることを意味している。
たとえば、シンガポール。シティホールの前の芝生のグラウンドで、僕の所属する日本の草サッカーチームと、元代表選手もいるシンガポールのクラブが対戦する。終わると、クラブハウスでビールを飲み食事をしながら両チームで歓談する。
たとえば、日本。ただし、米軍基地やイギリス系のクラブの中だけだが、同じような環境がある。
翻って日本人向け日本。更衣室もシャワーもない、家から1時間以上も離れた河川敷のグランドで、土埃にまみれながらプレーする。
誰が役に立たない競技場を作り、誰が一般人が使えないようにし、誰が「まあいいじゃないか」と言っているのか?狂会の会員は知っている。絶対に忘れず、そのうち後ろから蹴飛ばそうと思っている。このあたりが狂人たるゆえんである。ただし、おいしい酒を飲まされると忘れることもある。このあたり、日本人たるゆえんである。
五輪代表に対する賞賛の声の方が多いように思いますが、私はベスト4に進出できる実力がある日本を、予選リーグで敗退させた西野監督の愚劣な采配が不愉快でした。
選手としての西野監督は、高校の頃から気に入っていましたが、彼が今回は「よくやった」と言っているのを聞いて失望しました。「結果が出なかったのは失敗だった」と言ってくれれば、まだ、今回の敗退は指導者としての彼の「経験」にはなったと思ったのですが...
目標は「ベスト4」悪くても「ベスト8」だったはずです。日本の選手や偵察部隊は、それなりに良くやったと思います。しかし、西野采配は大会前から失敗ばかりだったと思います。
(1)アジア最終予選の韓国戦を勝ちにいかなかったこと
私の評価では、この試合は1レベル上の日本が適当に流して韓国に負けた、というものです。選手も監督からも「絶対勝とう」という意欲は伝わってきませんでした。1試合に4回しか1対1で負けなかった相手に、試合で負けるのは「恥だ」という感覚が彼らにはないようです。
結果として、アジア1位にならなかったために、一番厳しい予選グループに入ることになってしまいました。
(2)23歳以上枠を使わなかったこと
「若い選手に経験を積ませたい」とのことですが、平野や三浦や柳本は若くはないのでしょうか?
私だったら平野・山口・柳本の3人を入れたでしょうが、彼らはチームや日本代表で五輪代表と近い戦術を経験しており、チームにとけ込むのに大して問題はなかったはずです。
予選リーグの経験と決勝トーナメントの経験では、全くレベルが違うものがあります。彼らは、今回の大会で決勝トーナメントを経験しておくべきだったのです。今回の大会で、貴重な経験をする機会を失ってしまったのです。
ハンガリー戦、平野の得意な角度からのフリーキックが何回あったでしょうか?怪我をしていて、ほとんど使えなかった遠藤の代わりに柳本がいれば、ナイジェリア戦とハンガリー戦で攻撃しなければならなかったとき、どれだけ威力が違ったことでしょう。
(3)選手交代をしないこと
今回、西野監督は選手交代をほとんどしませんでした。暑い中の試合で、相手チームが3人の交代枠を補とんど使っていたのに、日本はほとんど交代をしないため、選手の足が止まっていました。ハンガリー戦の残り20分くらい、どうして上村や中田や他の誰でも怪我をしていない選手を投入しなかったのでしょう。投入すれば、まだ可能性はあったと思います。
(4)合宿場所の選定に問題があったこと
沖縄合宿をすると聞いた時点で、私は駄目だと思っていました。最新のトレーニング理論では、「涼しいところでの練習の方が効果が上がる」となっているはずです。どうして、北海道やコロラドの高地でなく、暑い沖縄を合宿場所に選んだのでしょうか?
(5)FWが一人足りなかったこと
今回は、幸いに城が負傷せずに頑張ってくれましたが、城が負傷した場合、日本はほとんど攻撃ができなくなったはずです。ナイジェリア戦・ハンガリー戦で攻撃が必要な時間帯に、松原以外に「高さのある」攻撃選手が一人欲しいと思ったのは私だけでしょうか?それとも、上村をFWと思っていたのでしょうか?
(6)廣長を右のウィングバックとして使ったこと
廣長が森岡の代わりにそのポジションに入ったとき、私は「西野監督発狂」と思いました。廣長を入れるのなら、伊籐のポジションに入れ、伊籐を攻撃的に使うべきところでしょう。チームでも代表でもやったことのないポジションにいきなり入れて結果が出るはずがありません。廣長自身は練習すれば、このポジションをこなす能力はあると思いますが、「急造」ではどうしようもないと思います。
以上が私の今回の五輪の評価です。
それでは、どうして2勝できたのかといえば、私は選手の能力がJリーグのおかげで急上昇しているからだと思います。まだ、戦術的な面で欠陥はありますが、南米型とも欧州型とも違う独特な個人技があり、しかもやや無謀あるいは非常識(サッカーの面では)なところもあるのですが、スピードがあって、相手の選手も日本選手を抑えるのに苦労していました。例えば、上村にしても、Jリーグでストイコビッチやレオナルドを完璧に抑えた経験があるのですから、各選手ともブラジル代表やナイジェリア代表の個々の選手を特に恐れている感じではありませんでした。警戒はしていたでしょうが...
ブラジル戦は偵察が完璧に行われていて、ジュニーニョのドリブルなどは、フェイントをかけた瞬間に反対側へ抜けてくることを予想した二人目の日本選手がスライディングの体勢に入っていて、かなり阻止されていました。ブラジルの「近代サッカー」らしくないドリブル主体の攻撃にも助けられたと思います。
81kg
[目次へ戻る]
世界のスポーツであるサッカーの視点から日本を見ると、本当に貧しい国だと思います。
オリンピック予選を戦うために日本に来たインドネシアのチームに「こんなひどいグランドがあるのか」と馬鹿にされたのは、
昔のことではなく、ついこの前のオリンピック予選の時です。
例えばドイツでは、仕事から帰った労働者が、家庭で夕食を取ってから、
地域のスポーツクラブ(サッカーチームがほとんどの収益を稼ぎ出す)で、
夜9時あるいは10時からいろいろなスポーツの練習に汗を流し、
スポーツクラブのバーで仲間と飲んでから家に引き上げるのが普通です。
それらのクラブの年会費は1万円程度に過ぎません。
日本のテニスクラブやアスレチッククラブがいかに異常な形態かが分かるでしょう。
同じ敗戦国同士で、こうも格差が付くのは、日本の官僚機構の無策のせいです。
すなわち、日本のサッカーが強くならないのと、
日本の会社は豊かでも日本人が貧しいのは相関間関係があるのです。(やや強引な結論
:-))
そういうわけで、怒りを込めてサッカーボールを蹴飛ばしましょう
:-)
[目次へ戻る]
Kさん、こんにちは。
私のスタンスは「世界中の人がいつでもサッカーを楽しめる」ことです。
で、日本でも一部の人しかこのような状態になっていないと思います。
幸い、私はこの一部の人になっていると思っているので、個人的には幸せですが、そうでない人たちが居ることを忘れたくはありません。
2002年については、「共催」のはずがすぐに「分催」だとか「韓国と一緒にやるのは難しい」という話が、大した根拠もなく流されていることに「排除」と「差別」の感情を感じています。そういう状態を無くしていかないと、2002年が楽しいものにならないのではと危惧しています。
私自身は、2002年までに何とか韓国語の日常会話と英語(仕事にも必要なので)をマスターして、ボランティアとして活動したいと思っています。中国語とスペイン語にも興味を持っているので、やりたいのですが、多分間に合わないでしょう
:-)
その前にフランス語を勉強して98年に見学に行きたいなーと思っています。
日本のサッカー界が2002年までにまずやるべきことは、朝鮮高校などを高校選手権に参加させること(アメリカンスクールやドイツ学園などにも参加してもらえばさらに良い)、朝鮮蹴球団などをJFLなどの公式戦に参加させること、など「鎖国政策」を改めることだと思います。もちろん、サッカーの場合は、他のスポーツよりはるかに鎖国度は低いと思いますが、まだまだ「国際化している」とは言えない状態だと思います。
次にやるべきことは、日本のおじさん達が玉蹴りができる環境を整えることでしょう。遠距離痛勤・残業に苦しむおじさん達が、自分の町のサッカー場に姿を現したとき、はじめて日本のサッカーの歴史が始まるのだと思っています。昨年まで、少年サッカーのコーチをしていましたが、自分の子供達がサッカーをやっている場にさえ、おとうさん達はなかなか現れません。おじさんサッカーチームにも所属していますが、なかなか人数が集まりません。
21年前のドイツでさえ、すでにおじさん達は自分の町のチームでサッカーをし、練習が終わった後クラブのパブで酒を飲み・歓談し、週末の「自分のクラブのトップチーム」の試合に応援に押し掛けます。私のこのような生活をしたいのですが、仲間のおじさん達が決定的に足りません。
どうしてでしょうね?
81kg
[目次へ戻る]